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日本音楽史上に残るクオリティと衝撃度のユニットCOMPLEX(コンプレックス)布袋寅泰、吉川晃司の『BE MY BABY』を知ってる??

      2016/05/16

COMPLEX(コンプレックス)『BE MY BABY』のPVは日本音楽史上に残るクオリティ


このPVについて「白地のバックに固定されたカメラの前で

2人が演奏するだけという超シンプルなものであったが

迫力・存在感は日本音楽史上に残るクオリティになっている」と評されています。

それは当然、この2人のパフォーマーとしてのもともとの高い能力ゆえなのだが、

しかしそれ以上にこのPVはもっと評価されうるすごい作品ではないかと思うのです。

というのも、この作品、二人のミュージシャンは

「画面で切れることなく、激しく動きつつもしっかりフレーム内に留まり続ける」

という難解なパフォーマンスをこなしていることに気づかされます・・・

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画面で切れることなく、激しく動きつつもしっかりフレーム内に留まり続ける、PVの凄さ


白いバックがかなり画像処理されているとはいえ、

おそらくこのときの現場の床には、いわゆる「バミり」の印みたいなものが

たくさんつけられていたのではないだろうか。

そうじゃなければ、

こんなにきっちりとカメラのフレーム内で収まる動きができないような気がする。

布袋寅泰がバックステップ でギター弾いたりとか、

一気にバッと前に乗り出してくる、その足の置き場所とか、

上半身の動きとか持っているギターの写り込み具合のサイズの収まりとか、

あらゆるモーションが絶妙なのである。

そして吉川晃司の動きも同様に、

非常に豊富な動き方の引き出しが駆使されているのだが、

どの動きもちゃんとカメラのフレーミングに

適度な収まり具合をみせていて、すごい。

それに、確かにカメラの位置がその場所の「中心線」を定めているとしても、

二人の(しかも大柄な)男が動き回っている状況では、

どこかで中心線が ズレそうになりやすいのではないか。

そういうこともこの映像ではクリアされていて、

最後まで芯はブレないような感じになっているのです。

なのでいずれにせよ、このPVを撮るには

「相当な回数の練習」が行われたのではないかと思う。



伝説のユニット「COMPLEX」コンプレックスとは??


元々、吉川晃司と布袋寅泰は、

布袋寅泰が所属していたロックバンド『BOOWY』が大きくブレイクする前に、

吉川晃司が、BOOWYのライブをライブハウスで見て、

気に入って以来からの交友なので、相当古い仲です。

吉川晃司とBOOWYメンバーとは非常に仲が良く、

「JUST A HERO」というアルバムの

「1994-LABEL OF COMPLEX」のコーラスには、吉川晃司が参加し、

逆に吉川晃司の「サイケデリック・HIP」という曲には布袋寅泰がギターで参加するという、

要は元々「お友達」だったわけです。



布袋寅泰は、海外志向だったことと、「自分が中心」で物事を進めたいタイプだったことから、

BOOWY解散後、ソロ活動で海外を目指し、

イギリスでシングル曲「DANCING IN THE MOON LIGHT」をリリースしましたが、

商業的に失敗し、大きく挫折したと言われています。

布袋自身「まだまだ自分は終わってないぞ(ヒット曲を作れるぞ)」という思いと、

当時いよいよアイドルから

本格的なロックミュージシャンへ脱皮しようとしていた吉川晃司サイドの思惑とが、

元々「友人関係だった縁」で融合し、

当時お互いが所属していた事務所の壁を通り越して結成されたのが「COMPLEX」でした。

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「COMPLEX」結成


ファーストアルバム「COMPLEX」のレコーディングの時点で、

既に音楽の方向性で食い違いがあり、

殴り合いの喧嘩があったと後のインタビューで吉川晃司が言っていました。

吉川晃司も布袋寅泰も「お互い自分中心」で曲作りをし、

COMPLEXを進めたかったようですが、

お互い譲らないことが多かったとも後のインタビューでもお互いが言っていました。

布袋寅泰はデジタル志向の音楽を目指していたことに対し、

吉川晃司は、生バンドの魅力を感じ、

アナログ志向な音楽を目指してしたとのことで、

音楽性は真逆だったようです。

布袋寅泰は、デモテープの時点でもほぼ完成形に近い形にして来たそうですが、

吉川晃司はデモはあくまでデモでレコーディングをしながら

形を変えても行きたかったようで、この辺の進め方の違いもあったようです。

ファーストアルバムは非常に完成度の高い良いアルバムだと思いますが、

この辺りの異なる音楽性の違いが個性となって

激しくぶつかって融合していたのだと思います。

セカンドアルバムの「ROMANTIC1990」の時点では、

既にレコーディングは別々に行われており、

当時の音楽雑誌でもファーストアルバムは、

『布袋寅泰プロディースの吉川晃司のアルバムと言えるほど、

「融合」していた』と言われていたのに対し、

セカンドアルバムは、

『布袋寅泰のアルバムに声として吉川晃司が参加している』と言われた程、

アルバム自体に個性がハッキリ出てしまっていると言われていました。

そのような状況より、

2人は結局2年という短い期間でCOMPLEXを「活動休止」にします。

布袋寅泰がその後のインタビューで、

「COMPLEXをやることによって、商業的な成功以外、

音楽的な進歩含め、大きく得るものは無かった。」という言葉に

「少なくとも、COMPLEXを結成しなければ友達を一人なくすことはなかったはず。」

という後悔の言葉まで付け加えていました。


彼自身、吉川晃司との決裂は本意では無かったのだと思います。

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最後に


上記のような背景から、復活ライブを見たときに

オープニングで2人がお互いの手をしっかりと握り合う姿に感動したファンは多かったと思います。

ライブ自体もお2人共、昔のようにぶつかり合うのでは無く

私は、お2人がお互い認め合いながら、

好きなようにやっている感じがしました。

少なくとも19901108の活動休止ライブよりも、

「生き生き」として見えました。

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