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『YOSHIKI』が『X JAPAN』のメジャーデビュー戦略で成功した方法とは?

      2016/01/28

『X JAPAN』はデビュー時をどう切り抜けたのか?


X JAPANと言えば、いまや世界的にも有名なバンドになりましたが

デビュー当初(当時はX)は、ライブ・ハウスでメンバーが暴れて火を吹いたり、

シンバルにガソリンを注いで燃やすなどして数々のライブハウスから出入り禁止となったようで

また打ち上げでも喧嘩が絶えず、

「関東三大粗大ゴミバンド」とバッシングされていました。

いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い

という考えから「知名度が必要」と判断し、

1986年、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の

「ヘビメタコーナー」に出演していたのです。

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いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い!


1980年代の20歳の若さで、YOSHIKIは戦略的に既にプロモーション活動を行っていました。

ネットがなかった当時、テレビという巨大な情報インフラを使い、

最初はネタ扱い、色モノ扱いでいいから、

とにかくメディア露出に拘り続けることを選んだわけです。

そしてその後に、自分らのプロとしての実力をみせつければ、ブレイクできる!!!

この流れが、YOSHIKIの戦略だったのです。



YOSHIKIのメジャーデビュー戦略とは?


その当時、YOSHIKIは、ゲイリー・ヨシキ。

ToshIさんは、オジー・アキラと名乗っていました。

番組の中で、食堂の中でライブやったり、ドラムの早叩きで勝ち抜いたり、

メタルを爆音で演奏して寝ているタレントを強制的に起こしたり、とかしてました。

このバラエティさから、昔からのメタラーからは煙たがられてたようです・・・

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日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演


1986年、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で

「ヘヴィメタル界最高の男」がいると言う触れ込みでゲイリーヨシキの名で出演。

YOSHIKIによれば「頭立ててたり派手な格好をしていたから、

「変な奴がいる」という事で話が舞い込んできた」という事で出演依頼が来たとの事で、

当時は何も考えていなかったのであっさり承諾してしまう。

プロモーションの一環と言う意識は無かったそうで、

周囲のバンドがあまりにも真面目にやっていたので反発精神が生まれてしまい

「思いっきり色物みたいなのもありなんじゃないかな?」と思い、

「これなら(お茶の間の)お母さんでも意味が分かるかな」

などど考えてはいたと回想している。

当時、YOSHIKIさんはプロモーションというほど、難しくは考えてなかったようですが、

「これなら(お茶の間の)お母さんでも意味が分かるかな」などど考えてはいたようです。

その他には、当時デモテープの配布すら滅多に無かった時代に

ミュージック・ビデオを客に配布していったのです。

他のバンドよりも違うプロモーションを積極的に行い、知名度を上げていったのです。

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既存の体制に問いを立てて反逆する


YOSHIKIの戦略として、

既存のヘヴィメタルの常識に対して

『何でこうなの??』と問いを立てて

『オレハこれでいくぜ!!』文句言うやつはすべてぶったぎる!!的な

PUNK精神、反逆精神で行動して来たのです。


重要なのは、業界の現状を冷静に分析し

他業界の通例をスライドさせて導入させる。

自分の道を切り開いてきたパイオニア精神の塊だったのですね。

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